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人との関わり方を見つめたい、カウンセリングを学びたい、自分の取り扱いを知りたい…色々な切り口で多様な方たちにご参加いただいています。少人数でじっくりと一人ひとりの方の声を丁寧にききあいます。エンカウンターグループを基軸として、いろいろなプロセスワークやサイコドラマ、ゲシュタルトセラピー・・・などを展開します。その中で、自分に気づき、その取り扱い方のヒントがうまれてくるような場になればいいなと思っています。TOECならではの手作りと遊びに満ちた雰囲気の中で、自分を知るという最高のレクリエーションを楽しみましょう。
ご機嫌いかが?
自分の機嫌は自分でとるべしとずっと考えていたし、おおむねそのように生きてきたつもりだ。期待する言葉をかけてもらえないからと不安になったり、苛立ったりすることは一見避けがたいことに思える。けれども、こう考えてみたらどうか。認めて欲しい気持ちや分かって欲しい気持ちの根底にある孤独感を誰かに埋めてもらうのではなく、自分で何とかしていこう。すると不満や恨みのループから少なからず解放されるのだ。その方が生きやすいし、何より楽しいはずだ。
ところが、だ。2年ほど前から同居が始まった御年93歳の母。まぁその母たるや自身の機嫌を他者でとことん埋めようとする。気づくとすっかり疲弊していて、老いた母を優しくしてあげたい気持ちとうらはらについ強い口調になっている。「たつろうスマンナ」などとあやまられたりされようものならへこみもするし、不機嫌の極みに陥ってしまうものだ。
そこで気づいた。自分では自分の機嫌を取ってきたと思い込んでいたものの、実際はそう思わせてくれる周囲の方々の気遣いが存分にあっただけのことではないか。え!?まさか!?それとなく探りを入れ確かめてみる。するとどうだ。一様に僕は自分で自分の機嫌をとるどころか、常にまわりをまきこむ、実にマイペースの人。自分、自分、自分ばっか!そして他者からたっぷり共感もらっている人。今更、何聴くの?といった反応があった。トホホ、いやはや自分に貼っていたラベルの何とうすっぺらいことか。
ところで昨今の自分の機嫌を取れないでいる状況は新たにちゃんと機嫌をとらなくてはというプレッシャーを生み出す。こうなると元来、天の邪鬼な僕は「機嫌が悪くて何が悪い」とか「荒ぶるまま生きてぶつかればいいだけのこと」とか「そもそも泣いている子に泣くなと言っても仕方がないように、簡単に自分の機嫌なんぞとれるわけがない」等々、次々とわいてくる。それはそれでそのとおりだし、ありのままの自分をもともと生きたいと思ってもいる。しかしながらやはり不機嫌な人がいるとそこに気を遣わざるをえないし、当の本人も気遣われたくもない。もちろん苛立ちから誰かに当たってしまうことをよしと思えるわけもない。なんたってかの文豪ゲーテは「人間の最大の罪は不機嫌である」とまで言っているのだ。どうしたものか。答えのない問いである。
ひとつ言えることは、かくも生きることは具体的ということだ。僕たちは理屈ではなくどこまでも実存的な存在として今ここにある。揺れて自分を感じ認める。そして他者の声にも応答し、変容もしていく。良い悪いで仕分けるのではなく、心や身体の声に耳を傾け、生の自分、他者、そして共につくられていく場と対話する。さあ、この4日間具体的にそのことを自分から始めていこう。
このワークショップの4日間は、単にカウンセリングのスキルを学んだり、悩みや問題の答えを提供する場ではありません。自分と出会い、他者と出会う。また、他者を通して、自分を見つめる。エンカウンターグループやプロセスワーク、サイコドラマやゲシュタルトセラピー…トエックならではの手づくりと遊びに満ちたムードの中、メンバーのニーズとイセタツロウの直感でデザインされていく場は涙と笑いの人生劇場。深刻じゃないけど真剣に、重くないけど深ぁく。「今、ここ」を生ききって、ともにワークしていきましょう。
ワークショップ世話人・カウンセラー 伊勢達郎
伊勢達郎(トエック代表 カウンセラー)
TOEC代表。徳島県阿南市出身。
学生時代よりカウンセリング・キャンプを学び、(財)青少年野外活動総合センター指導部(当時)を経て、1985年「自然スクールTOEC」を設立。個人やグループのカウンセリング及び、沖縄無人島キャンプなど、たくさんのフリーキャンプ(自由なキャンプ)を展開。90年「TOEC幼児フリースクール(ようちえん)」、98年「TOEC自由な学校(小学校)」を設立。社会に新しい学校のスタイルを発信・提案している。大学や看護学校の非常勤講師なども務める。