受付中
人との関わり方を見つめたい、カウンセリングを学びたい、自分の取り扱いを知りたい…色々な切り口で多様な方たちにご参加いただいています。少人数でじっくりと一人ひとりの方の声を丁寧にききあいます。エンカウンターグループを基軸として、いろいろなプロセスワークやサイコドラマ、ゲシュタルトセラピー・・・などを展開します。その中で、自分に気づき、その取り扱い方のヒントがうまれてくるような場になればいいなと思っています。TOECならではの手作りと遊びに満ちた雰囲気の中で、自分を知るという最高のレクリエーションを楽しみましょう。
仕方ない、では終われないのだ
他人の評価や気持ちはつまるところ、こちらの想いの外。心配しようが、しまいが、相手の責任であり、相手の問題。逆にそのことをどう取り扱うか、そのことに対するこちら側の気持ちはこちらの責任。その責任の所在を見極め、まきこまれずに自他の分離をする。
この世に生まれ 私は私のやりたいことをやり あなたはあなたのやりたいことをやる
私はあなたの期待に応えるために 生まれてきたのではない
あなたもまた 私の期待に応えるために 生まれてきたのではない
ご縁があって 出会うことがあればそれは美しいこと
ご縁がなければ 仕方がない フレデリック・パールズ「ゲシュタルトの祈り」
40年余り前、この言葉に出会い、特に「ご縁がなければ仕方がない」に衝撃を受けた。目からウロコどころか、目がテンになった。
「えーっ!仕方がないって、冷たくない?」
「いえいえ、それは涼やかなこと、風通しが良いのです」
「とはいっても、そう割り切れないのが人情だし、人としての温かみというものじゃ…?」
「いえいえ、それは温かいのじゃなくて、暑苦しいのです」
「えーっ、だって…」
「その『だって…』もあなたの問題。お好きにどうぞ」…相当意訳も入っていますが、こちらはアドラー博士の言。
というわけで、この論に感銘を受け、さんざん学んで深めてきたつもりの僕なのですが…今の僕は、他人のことであれ、社会のことであれ、ますますもって
〝仕方ない〟と思えなくなっています。要するにおせっかいにも、暑苦しくも「でもね~云々」となって、一層サラリとはいかなくなっているのです。
厄介なことには、そういった自分をどこか気に入っているところがあって、あれこれ忙しい心に喜んでいると言おうか、酔ってる!?おぼれてる!?フシも。
ま、「お好きにどうぞ」とアドラーさんも言っていることだし…。
「身体に完全な健康がないように、心にも完全な健康はない」とドイツ文学者丘沢静也氏は言う。確かに、僕も常になにがしかに困っているし、悩んでもいる。失敗もする。癒えない傷も抱えている。誤解や行き違いも常だし、対人関係の問題や課題、社会的な問題・課題は身近なことから、地球規模まで事欠かない。
仕方ないと置いておけない僕にとり、悩むが花とはいえ、心し(ておか)ないとじぶんを見失うことになる。そこで、かようにさっぱり悟らず、成長しない僕であるから、その僕のトリセツとして、心がけていることがある。ことさら自分を追い詰めず、呼吸をして自分の声を聴く。海や空や田畑など、自然の声を聴く。他人と語る、触れる。遊びやユーモアであちこち扉も開けて風を入れる。
この4日間のワークショップもそうありたいし、そのことであらゆることに居場所を与え、そこから見える光を一緒に見ていきたい。
このワークショップの4日間は、単にカウンセリングのスキルを学んだり、悩みや問題の答えを提供する場ではありません。自分と出会い、他者と出会う。また、他者を通して、自分を見つめる。エンカウンターグループやプロセスワーク、サイコドラマやゲシュタルトセラピー…トエックならではの手づくりの遊びに満ちたムードの中、メンバーのニーズとイセタツロウの直感でデザインされていく場は、涙と笑いの人生劇場。
深刻じゃないけど真剣に、重くないけど深ぁく。「今、ここ」を生ききって、共にワークしていきましょう。
ワークショップ世話人 伊勢達郎(NPO法人自然スクールTOEC代表)
伊勢達郎(トエック代表 カウンセラー)
TOEC代表。徳島県阿南市出身。
学生時代よりカウンセリング・キャンプを学び、(財)青少年野外活動総合センター指導部(当時)を経て、1985年「自然スクールTOEC」を設立。個人やグループのカウンセリング及び、沖縄無人島キャンプなど、たくさんのフリーキャンプ(自由なキャンプ)を展開。90年「TOEC幼児フリースクール(ようちえん)」、98年「TOEC自由な学校(小学校)」を設立。社会に新しい学校のスタイルを発信・提案している。大学や看護学校の非常勤講師なども務める。