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誰かの期待に応えない、あとはお好きなように!(瑞月・母)

執筆:藤井雅代(瑞月・母)

「題がない、題がない、いくら考えても題がない…」原稿に行き詰まると、決まって思い出すのが、このフレーズ。

これは、中1の時、同じクラスの男の子が書いた詩の始まりの部分。各クラスから2人の詩を何かの詩の読本に載せるために出すという。ひとりは、この男の子。そのときの正直な心の動きをかいたもの(だと思う)。いつもおちゃらけていたその子が自分の書いたその詩をみて、とても誇らし気だった。

もうひとりは私。何で選ばれたのかわからない。きっと母親が同じ中学校で先生をしていたからだと勝手に思っている。国語の教師だった担任に、こうしたら、あーしたら、といっぱい直され、誰の詩なのかわからなくなった。そんな詩に自分の名前がくっついて載っている。なんともいえない居心地の悪さ、消えてしまいたい気分だった。

学級歌の作曲においてもそう。音楽の先生に頼まれ、プレッシャーを感じながらも一生懸命に創っていった。いざ、配られたものをみてみると、音もリズムもまるっきり違うものに。それなのに、名前だけは私。今度はその伴奏を考えてこいと。もう、何が自分なのかわからない。自分がどうしたいのか、どうしたくないのか、そんなことはすでに私の中でどうでもいいことだった。

自分が誰かのご期待に応えるような振る舞いをしているなあと、本当に気がついたのは、実はつい最近のこと。とてもおどろいた。もうとっくにそんなこと知ってるよと思ってたから。今、やっと、そういえばずっとこんなふうに感じてたんだ、というのをていねいに見はじめたところ。

自学を卒業し、現在中1の葉月。この半年の間に、心も身体もまた一段と成長した。それはもう見事なまでに。ひとつの「作品」と言ってもいい。自学での6年間、常に自分の空気とともに生きてきた葉月。私が必死で手に入れようとしているものをすでにこの歳でもっている。というより、失くしていないというべきか。

「自由な学校に6年間通わせた」これだけでもう充分親のつとめは果たした。あとはお好きなように!