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信頼するって、こういうことなんだ(葉月&瑞月・母)

執筆:藤井雅代(葉月&瑞月・母)

ちょうどこれを書いている2ヶ月前、葉月は自由な学校を卒業した。まだ2ヶ月なのか。随分経ったように感じる。気持ちが大きく動いたからなあ。

やっと、ちょっと自分が疲れていることに気づくゆとりを持てるようになってきたけど、ほんの数日前までは、ツンとつつかれたら、いつでもすぐ泣けます!というくらい気持ちが張りつめていた。もう、いっぱい、いっぱい。なにがって、葉月を応援しすぎて。

今日はどうだったかなあと、葉月の帰ったときの顔をみてはホッとする毎日。通常ならば、小学校入学のときに親として経験するであろうことを、きっと今やっているのだ。

肝心の葉月はというと、元気にたくましく地元の中学校に通っている。バレー部に入ったので、帰りはほとんど7時過ぎ。あんなに悩んだのに、そんなこともあったなあと思えるくらい、今はすっかりなじんでいる。

これも、葉月に声をかけてきてくれたお友達のおかげ。春休みにもたくさんたくさん葉月や私とやりとりしてくれたプーのおかげ。そして葉月のことをいつも気にかけて、応援してくれているたくさんの人たちのおかげ。ほんとにほんとにありがたいです。

わたしもちょっと頑張って、学校の様子が少しでもわかればと思い、PTAの学年副部長というのになってみた。そのおかげで、先生方とも話せる機会があり、さらに大丈夫だと思えた。話してみないとわからないことってやっぱりある。また、世界が広がった。

TOECならではの手づくりの卒業式のなかで、お世話になった人たちに、葉月が「ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」と言った。用意されていない、葉月の中からでてきたことば。よく聞く言葉なのに、ものすごく感動した。

次の日、農園では「おおきくなったねの会」があった。泣いても笑っても自学にいられるのは、この日が最後。6年生たちはやり残したことはないかなと、木に登ったり、水を飲んだり。めいっぱい農園の空気を体にしみこませていた。その様子を嬉しく見守りながらも、4月からどうしたものかと、頭の中ではぐるぐると考えていた。

帰ろうとしたとき、葉月が何気に「ママ、はっちゃん那賀川中学校に行くかも知れん」と。もう、ふいうち。胸打たれた。

彼女の中で何か昨日までとは違う心の動きがあったのか。あの時の感じは言葉にできない。涙があふれてとまらなかった。葉月の親をやってきてよかったと感じた瞬間。こんな体験をさせてくれてありがとうと思った。

大人の思惑をはるかに超えたところで、「こと」は起こり、もうそばで見守る段階にきているのだということを強く感じた。子どもを信頼するって、こういうことなんだと初めて感覚としてわかった気がした。

6年間、葉月は葉月のペースでやりたいと思ったことをただひたすらやってきた。こちらからは、あえて何も教えようとはしなかった。むしろ、その学年で習うとされていることが、子どもにとって害になる恐れがあるかもしれないとさえ思っていた。

「音楽」とか「算数」とかに分類すること、音階を「ドレミ―――」に限定すること(微妙な音もあると思った)、九九を丸暗記すること、漢字の書き順ですら抵抗があった。勿論、子どもがそうしたいといえば、話は別だけど。

教科書の類は、一度も開けてないのがほとんどだと思う。まったく不安がなかったかといえば、決してそんなことはなく、頭では大丈夫だと思いながらも、本当にこれでいいのか、よかったのかと、よく揺れもした。そんな中で、中学校生活をとりあえず始めてみた。とりあえず新入生オリエンテーション、とりあえず入学式、という具合に。この「とりあえず」がよかったのかもしれない。

中学校での生活は、彼女にとって何もかもが新しい。初めて給食を食べた。テストもあった。葉月の口から「男子」や「女子」、「ハイ(返事)」を聞いたときには、かわいくて思わず笑ってしまった。毎日何かしら新しい葉月に出会える。日を追うごとに、葉月らしさに一層磨きがかかり、会話の中にもますますいい味を出している(と言えば、横からすかさず「いい味って、何味?」とつっこんでくる)。葉月はどこにいても、葉月なんだなあと感じた。

そんな葉月も、つい先日、突然39度を越える熱をだした。午前中は元気に部活にも行ったのに。日曜日は予定を取りやめ、久しぶりに家で一日ゆっくりした。こんなにゆっくりしたのは何年ぶりかというくらい、みんなでのんびりだらだらを楽しんだ。藤井さんち、今までよう頑張ってきたなあーと、しみじみ思った。

6年間TOECで過ごせたことを誇りに思う。6年間たっぷりしっかりやりきったからこその「今」。「次」に向かっていける力があった。たっぷりの時間をかけて葉月が葉月になってゆくそばで、わたしがわたしになってゆけた。

葉月のことはわたしの中でとても大きな位置を占めていて、何だかわたしも一緒にすっかり卒業した気分になっていた。ふと横を見ると、みづくんがいた。エヘヘ。まだまだ、つづく…である。

けど、やっぱり葉月の卒業はわたしにとっても何かの「卒業」。そして、「新しい始まり」。