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はじめてづくしのTOECの日々(葉月&瑞月・母)

執筆:藤井雅代(葉月 & 瑞月・母)

もうすぐ葉月が卒業。これを機に、私の中でも何かひとつ区切りをつけたくなった。

6年前、葉月が自由な学校(以下自学)に入るとき、「無認可の小学校に入学」という前例がなかったため、手続きにものすごくエネルギーを費やした。学校と教育委員会に何度も足を運び、嫌な思いもいっぱいした。いっぱい怒り、いっぱい泣いた。4年後の瑞月のときは、驚くほど楽だった。(比べれば、だけどね。)ひとつ道がついてると、こんなにも違うものか、それとも気持ちに余裕があったからか…。

前例がないと言えば、沖縄無人島の大人のキャンプもフリースクールのお母さんの参加は初めてということで、聞いてみたけれど、2回とも割引はなかった。そのあとできた。TOECのお米を分けてほしいと申し出たときも「初めて」だった。ちっちゃなことだけど、そういえばそうだったよなあと思い出した。

最初の一年、自学は葉月ひとりだけの時期もあり、フリースクール(幼稚園)ともあんまりつながりがなくて、私自身、本当に孤独だった。「世間」に対していつも何かひとりで戦っていた。

同じ立場の人がいなくて、あまりにもつらくなって、達郎(自学代表)とプー(自学スタッフ)とししまる(元自学スタッフ)に時間を作ってもらい、気持ちを聞いてもらった。小学校ならではの悩みってあるよね、ということで、2年目から自学のペアレンツグループがスタートした。

入学から4年半の間は、佐那河内(前に住んでいた所)からの送り迎えだけで精一杯で、自学に対して何か疑問を持ちながらも、スタッフも精一杯やってくれてるし…と自分を納得させていた。

葉月が5年生のときに今の家に移り住み、送迎に手がかからなくなって、気持ちにゆとりができてきた頃、私自身、自学に魅力を感じていないことに気がついた。このまま葉月を通わせて、6年終わった時に何もなかったらどうしよう…これでいいのか、といっぱい考えた。

スタッフが向いてる方向にもズレを感じていたので、またまた達郎とプーとでこぽん(自学スタッフ)に時間を作ってもらい、自学をやめてもいい覚悟で話を聞いてもらった。そこで、夜学がうまれた。

私は物心ついた頃から最近まで、自己評価が思いっきり低かった。自分には価値がない、自分の言うことを真剣に聞いてもらえるわけがない。「そんな私の家族」というだけで、夫や子ども達のこともたいしたことないとさえ思っていた(ごめん、失礼でした)。だけど、こうして振り返ってみると、自分が存在することで、うまれたものがある。動いたものがある。

まわりが動いてきたように、私の中でも時間をかけて、何かが動いてきたのだろう。今はちょっと、自分が好き。葉月はよく「はっちゃんって天才やなー」と口にする。このまま自分のことをすごいヤツと思える気持ちを持ち続けてほしい。

さてさて、葉月がもうすぐ自学を卒業する。その後のことは、まだ決まっていない。本人に聞いても「わからない」と言う。「あと一年」を切った頃、この先のことが急に不安になり、随分いろいろ考えた。

本当にこれでよかったのか、自学を進めた自分を責めたり、達郎に中学校もつくってよ、と詰め寄ったりもした。夜学でも何度も話題に出しては、納得できる答えが見つからず、途方に暮れた。どうせみんな他人事でー、とここでもすごく孤独を感じた。

きたきた、また「前例がない」だよ。誰かどうにかしてー、とこの通信で呼びかけようかと本気で考えた。「葉月の中学校募集!」と…。随分じたばたしたけれど、結局は自分たちで何とかするしかないんだと気がついた。というか、覚悟ができた。応援してくれる仲間もいるしね。不思議なことに年が明けた途端に、「何とかなるさ」と思えた。夫も私も。あとは、残り少ないTOECでの生活を思う存分楽しんでほしい。

ここまできたら、もうそれだけです。