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はじめに 〜自分を生きるという究極の力〜

モノや便利さを追いかけ続けた社会の在り方は、今大きく揺らいでいます。教育界のふり幅というのは激しくて、勉強ばかりでなく、ゆとりも大事と自由保育やゆとり教育ができて、でも学力が下がってはだめというのでまた揺り戻しがきて。

基礎学力は大事、スポーツも大事、しつけは大事、英語も大事、自然体験活動も大事。あれもこれも大事。もちろんそうなんですけど…。不安になった親は次々とサッカーだ、学習塾だ、お絵描きだと教室に通わせるので、子どもたちの日常は忙しく、自由な時間はどんどん奪われてしまっています。

子どもによかれと届けられる指示やアドバイス、情報はおしなべて過剰と言わざるをえません。結果的に子どもたちの創造性や主体性を搾取してしまっています。

また、「勉強がんばって でも勉強ばかりでもダメよ」というふうにダブルメッセージ(相矛盾するメッセージ)となっていることも多いので、子どもたちは(親自身も)それにとらわれ、ふりまわされがちです。自分の気持ちや意志が自分でわからなくなってしまっている子は、とても多いように思えます。

子どもたちから伝わってくる今の学校社会は、ボクの想像以上に同調圧力といおうか、
みんなと一緒でなければいけないといった空気が支配しているようです。素の自分を表現できず、キュウクツな想いをしている子どもが実に多いのです。

同様に、親も教師もキュウクツな思いをしてしまい、子どもや教育に自信が持てなくなっています。みんなが外で遊んでいるのに、ひとり部屋で本を読んでいる。という相談を親からも教師からも受けたことがあります。それのどこが問題なのかと思うけれど、親も教師もすごく悩んでいます。

さて、ボクはTOECの事業はそこを突き抜けることができると思っています。

事業の特徴
・少人数であること
・「気持ちは裁かれない」そのままを認め、聴く人が存在すること
・僕らの意図を超えた「自然」「プロセス」から多くの事を学んでいること
・スタッフ(教師)はやりたいことや学びたいことに人や場所をつなぐ役割であり、自らも学ぶ人であること
・あらゆる活動は子ども自身の関心や好奇心を起点としていること

競争に支配された消費型の産業社会はいずれ終わるでしょう。その向こう側のドアを開きたいし、そこに目覚めることは大人の責任だと僕は思います。モノは壊れても回復するけれど、人や自然の回復は簡単にはいかないでしょう。もはやそんな地球レベルの問題になっているのですから。「ポスト産業社会」それを根っこにしたうえでないと、知育も体育も徳育もないと僕は思います。

TOECの自由な学校は、いわゆる学力やスポーツの成績など、目先の評価では負けるかもしれません。うちに来なければ悩まなくていいこともたくさんあると思います。

しかし、本来の心の神話というか「自分自身を生きる」ということをたどっていくならば、道ははっきりと見えている。この道をスタッフも親御さんも一緒に語っていこうとスタートして、僕たちは今日もその道の途上で子どもたちと試行錯誤して日々過ごしているわけです。

一人一人が本来の主体性を発揮して、健やかに「自分を生きる」ことができるように。自分への自信(セルフエスティーム)の有無は、何ができる、できない、強い、弱い、ということに由来しません。自分の存在そのものへの肯定感なので、ありのまま、まるごと受け止めるところからしか育たないのです。

人の評価や他者との比較に誰もが疲れてしまいがちな社会のなかで、自分の弱さや今の不十分さをサラリと受容しながら、比較の世界に生きずに、のびやかに自分になっていくこと。僕はこの究極の力を支持するし、信頼もしているのです。