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「ひとり」と「独りぼっち」は違う

依然としてダイチ(小3)はフリースクールの玄関前の日陰に座り込んでいる。せっせと泥団子を丸め続けているのだ。僕が朝その前を通りすぎる時、「たくさん作ったね」と声をかけたら、ダイチはうれしそうに笑い返してきた。やがてお昼なのであれから2~3時間はたっているはずだ。

43個作ったよ」。今度はダイチのほうから話しかけてきた。整然と並べられた泥団子を前に僕はただただ感心して「おもしろいんだね」と言うとダイチは「うん」と力強くうなずき、そして満足そうににっこり笑うのだった。丹精こめてひとつひとつきれいに丸められた泥団子は、ダイチがこの間、いかに充実した時間を過ごしていたかを如実に物語っている。

実はこの間、こうしてダイチに声をかけたり、かかわりをもったりしたのは僕だけではない。前を通るたいていの子は、一度はなんらかの声をかけたりかけられたりしている。まったくダイチとは別な遊びを、別な場所でやっている子どもですら、ダイチのこの泥団子のことはよく承知していた。ダイチはひとりで泥団子をひたすら作り続けたが、決して独りぼっちではなかったのだ。

以前から感じていたことだが、ここ数年、極端にひとりになることを恐れている子どもや若者が増えているような気がしてならない。キャンプ中の活動はおろか、トイレにいくことまで必ずカップリングと呼ばれる固定された2~4人組で行動するのだ。ランチタイム症候群と呼ばれるらしいが、お昼ご飯を一緒に食べる人を見つけられないのではないかというプレッシャーで学校や職場にも行きづらくなっている人も珍しくないらしい。

身勝手なわがままや心を閉ざして引きこもることを良しとしているわけではないが、周りと同調することだけにとらわれすぎている今の風潮はなんとかならないものかと心から心配している。

ひとりでいることができて、はじめて人は2人でいる(協調する)ことがでいるといえる。ひとりでいることを温かく見守られる共感の中でこそ、真の協調性も育まれるのだ。

さて、実はこの泥団子、この後大雨に打たれて無残にもすべて壊れて、溶けてしまった。ダイチの心中はいかばかりかと思ったら、「一番大事なのはここ」と靴箱の中にしまっておいた泥団子をうれしそうに見せたそうだ。そして周りの子もスタッフもそのことを自分のことのように喜んだのだった。