とえっくらじお ON AIR お試し配信中
21

巣立った子どもたちの、たくましさ

「どろんこでのびやかに」と言いつつも、TOECフリースクールを卒園もしくは卒業後、公立の小学校や中学校にうまく順応できるだろうか。TOECフリースクールを選択するうえで気がかりなこととして、よく受ける質問だ。

この点答えは簡単で、卒業した子どもは皆、小学校、中学校の枠組みにその子なりの順応をして、個性的にやっている事実がある。多くの方の予想や心配とは逆に、担任の先生からは、先生の話をよく聴き、何事にも意欲的、他人に対して寛容、身体能力・体力が高い…などなど高い評価をいただくことが多い。

幼児フリースクールから地元小学校に入学したヒカル(小1)もその一人だ。ヒカルは小学校が楽しくてしょうがないらしい。

ある日の授業でヒカルが皆の前で音読している時のこと、読めない字が出てきてヒカルの音読は中断した。周囲の子から失笑が漏れたのを先生は厳しくとがめた。熱心さのあまり、先生の叱責はヒカルとは無関係に延々と続いたそうだ。

この話を聴いたヒカルの母ミノちゃんは、「皆に笑われていやだっただろう?」と確かめた。ヒカルは意外にも「それは大丈夫」と明快な答え。そして、キッパリとした口調で、「僕はただ、なんと読むか知りたかっただけだった」と答えたそうだ。

フリースクール卒業の子どもに共通していえることだが、彼らは自分の弱さや今の不十分さをサラリと受容している。このことは誠に「アッパレ」だ。なぜなら、世間の子どものみならず、我々大人も、人の目や評価、また他人との比較にほとほと振り回されているからだ。

自分への自信(セルフエスティーム)の有無は、何かができる、できない、強い、弱いということに由来しない。自分の存在そのものへの肯定感なので、ありのまま、まるごと受け止められるところからしか育ちようがない。

それはTOECフリースクールが子どもとのかかわりで、最も意図するところである。念のため付け加えるが、ヒカルは開き直ったわけでも、単に鈍感なわけでもない。比較の世界で生きていないだけなのだ。

目先の学力より僕はこの力を支持するし、究極の力として、信頼もしている。大人の自分への自信のなさは、成育歴で負った傷やコンプレックスとつながって子どもを無自覚に支配する不幸な連鎖を生む。

「ただ知りたかっただけ」というヒカルのまっすぐな目線は、我々大人の目線を正してくれる。