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ありのまま、ともに育っていく自然農

まもなく田植えがはじまる。下準備のため、午前中いっぱいかけて田んぼの畦の草刈をした。実は、僕はこの草刈りがあまり好きではない。なぜかといえば、雑草と言われる草々が大好きなのだ。

スズナ、ホトケノザ、ノビル、ヨモギ、スズメノテッポウ、オオイヌノフグリなど、どれも見ていて飽きることがない。作られた花畑よりもずっと美しいと思う。さらにもう一つの理由は、草々が子どもたちにとって格好の遊び相手だと思うからだ。

今日もすぐ近くでホウサク(5)がホトケノザを摘んではぺロリとなめて、かすかな甘みを感じては喜びの表情を浮かべている。ホダカ(小3)はスズメノテッポウの草笛を「ピーッ」と器用に鳴らしている。

自然の草々は素朴な遊びの宝庫だと思う。そのすてきな草々をあそこまで根こそぎ刈り取ってしまう意味が僕には理解できないのだ。

TOECフリースクールの農園は、僕の両親と長兄が持っている。農業者には「畑で必要な草は一本もない」という言葉がある。母に言わせれば、家の片付けが出来ていないことより、畑の草が生えっぱなしになっていることの方がよっぽど恥ずかしいという。

TOECでは、稲作も野菜づくりも極力無農薬で育てているが、僕は「冬水田んぼ」(冬の間ずっと田んぼに水を張り多様な生き物を循環させるやり方)や「有機不耕起農法」(草も抜かず、土も肥やさない究極の共生型農法)など徹底した自然農法の実現を目標にしている。

なぜなら、自然農の理念は子どものありのままを認め、ともに育っていくフリースクールの理念に重なり合うからだ。だが、すでに書いた通り、長年続けてきた農業についての考え方があり、今さら変えるのは難しいだろう。

確かに自分の信念を主張するのは大事だ。でも、僕には、とことん持論を押し通すつもりはない。かたくなに貫くことで母を精神的に追いつめたくないからだ。草刈は不満足ながら、妥協点であるのだ。

午後からはカボチャとキャベツの苗をたてた。1センチにも満たない苗は「くん炭」(モミガラを炭化させたもの)と土を混ぜ合わせた苗床に植えていく。

今年76歳になる母を前に、僕は作業のスピードもていねいさも遠く及ばない。ある程度育った苗を畑に植えなおすまでの間、過不足なく水をやるのはけっこう気を使う作業だ。ここでもまた、苗に対する母のこまやかな気づかいや臨機応変な対応に驚かされる。「農業者は教師の100倍の教育力を持つ」という宮沢賢治のことばは言い得て妙だ。

「まずは農業者としてしっかり働き、学ぼう」。早々と痛くなった腰を伸ばしながら、ぼくは心の中で小さく叫んでいた。