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ただ在ること(Being)を認めよう

TOECフリースクールが、彼岸花の赤に包まれている。畦、畑の斜面、周囲の田んぼも含め、息を呑む美しさ。ことに夏の間、子どもたちが涼みにくるヤマモモと柿の木の下は群生していて荘厳さが漂う。

子どもたちの歓声から少し離れ、そこにひとりたたずむと、まさに「彼岸」に居るような不思議な気持ちになってくる。もちろん行ったことなどないのだが(笑)。

この場の開放感が僕をちっぽけなエゴから解き放つ。自然とのつながり感が「ひとり」の僕を安心で満たしてくれる。そのまんまで豊かで美しい今にただ感動。

TOEC小学校のある通称「おっきなおうち」の片すみにかくれるようにミト(小2)がドロダンゴを丸めつづけている。「あら、こんなところにいたの。いいところね。」スタッフのスガの声かけはやさしい風。ミトもまた僕同様、安心の中、ひとりでいる。

稲刈りの後の広大な田んぼでは鬼ごっこをする子どもたち。大声を出しながら走りまわっている。マナミ(5)はその様子を畑のある少し高いところから静かにただ見ている。秋風に吹かれるままの髪の毛が気持ちよさそう。器用にこさえた彼岸花の首飾りを首にかけ、ひとりたたずむ姿はまさに威風堂々だ。

ミトやマナミのこういった時の過ごし方は、フリースクールの世界そのものだ。

社会はますます人を孤立させている。他人や周りから切りはなされた自分というせまい自己認識の中に、大人も子どもも閉じこめられがちだ。自分を守るため、カラを固め、他人と自分を比較し、せめぎあう。その上、「何かやらねば」と、もっともっと成長することや何かをなすことへのプレッシャーが常につきまとう。

現代社会はただ在ること(Being)を認めず、すること(Doing)を強迫し続けるのだ。それはゆったりと「今」という瞬間を味わう豊かさの本質を奪う。

みんなといてもひとりぼっちでさみしい自分から、ひとりでいても皆と共にいる安心感へ。走りつづけることから立ち止まり、今を感じるゆとりを。子育てこそスピリチュアル(霊性的)な視点を大切に、親も子どもも存在そのもの、生命そのものを感じ合い愛し合いたいものだ。

彼岸花に包まれながら、僕はただ在ることが認められる場、フリースクールを全身で感じていた。