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問い続けた人間の優しさ

2006年1123日、作家の灰谷健次郎さんが亡くなった。享年72歳。代表作の「兎の眼」や「太陽の子」は、読者が読後の感動を伝え広げて生まれたミリオンセラー。児童文学というジャンルをはるかに超えた灰谷作品は、あらゆる世代、階層の支持をうけ、特に教育界では灰谷教と呼ばれるほどで、実は僕も紛れもないその一人だ。

一貫して人間のやさしさとは何か、生きるとは何かを問い続ける作品に、僕自身はかり知れないほどの影響をうけ、そして支えられてきた。しかも僕は幸運にも、トークショーやセミナーを共にする機会に恵まれ、それが縁でずいぶん親しくおつきあいもさせていただいた。

素顔の灰谷さんは時に作風とはかけはなれた硬派なところや無頼なところ、そして破滅型なところものぞかせ、それがまた格好良く、一層、傾倒したものだ。

TOEC主催のワークッショップでは「天の瞳」の連載をはじめたばかりの多忙中にもかかわらず、上勝で3日間も熱く教育を語りあい、そして川で魚を追いかけまわし遊学を共にした。TOECの沖縄無人島キャンプにもふらりとやって来て、手モリで仕とめた魚を自慢そうにさし入れしてくれた。

この時、たまたまキャンプに参加の子供たちが、灰谷さんの魚よりも大きな魚をたくさんつってかえってきたのに出くわしてしまい、バツ悪そうに苦笑いしながら自分の魚を指して、子供たちに「けど、この魚は有名な作家がとった魚やから値打ちがちがうねん!」とひらきなおって大笑いになった。

灰谷さんはいつもボソッと「イセちゃん、あんたやないでえ。まわりの人ホンマよおやるわ。信じられへん」と少々ねじれた表現で僕をほめた。フリースクール10周年にあたり送られてきたメッセージには「ようがんばりはったなアとも、ますます貴重やなアとも思い感じ入っています。これからもちいさないのちのはなやぎをどうぞ慈しんでください」とあった。

いろんな講演会などでフリースクールの存在を語ってくれたこともあり、伝え聞きでは「子供たちの目の輝く場、徳島のトエックフリースクールにみんな行ってください。作家のカンとでも言おうか、確信したの。ここのイモねえちゃんがイイねん」。

嗚呼、書いていて涙になった。この時代にこそ灰谷さんの存在が必要なのに。

灰谷さん、十数年たった今も、そしてこれからも、そのイモねえちゃんたちと共に、小さな命のはなやぎを僕は慈しみ続けますね。合掌。