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ちいさな焚き火、心もあたたか

それぞれの1日のプランを話しあってきめるモーニングミーティングでスタッフのペーターから「外でごはんを炊こう」との提案。ミーティングが終わると、さっそく賛同した子らとごはん炊きにとりかかる。

3升だきの大きなお釜にお米をはかり、てぎわよくといで水をはる。米を浸している間に薪の準備。山積みにしてある薪は近所の材木屋さんに製材するさいに出る材木の切れはしを定期的に分けてもらっているものだ。

思い思いに手ごろな木ぎれを引っぱりだして、机などに斜めに立てかけ、足で踏みつけて折る。踏みそこねてケンタロウ(5)がひっくりかえる。小さな子供たちのこうした作業(遊び?)は懸命さが伝わってくるだけに、よけいほほえましくて笑えてしまう。

折れた木が勢い余ってあちこちにとびちったり、逆に思いのほか木が折れにくくて足が痛かったりと、少々危険や悲鳴のあがる傷みもつきまとうが、けっこうけっこう。ハラハラしながらも口出しせず見守ることが肝心だ。

ふわりと丸めた新聞紙の上に足で折った木切れをつみかさねていく。細いものから太いものへと順に空気のとおりがいいようにしないと燃えない。皆、経験からよくこころえていて、マッチで火をつけると待つこともなく、すぐ煙が上がり燃え上がる。「はじめチョロチョロ、中パッパ」の要領で随時薪をくわえること20分弱。皆たのしそうだ。フタをあけると、もうもうと湯気があがり、たきあがったごはんに歓声があがる。

昼食時「オレここが好きなんよな」とハルヒサ(5)がおこげのところを指さしてうれしそうに言ったので、僕も「そうそう!」と相づちをうっていっしょに笑った。

今やめったにお目にかかれなくなった焚き火の風景。TOECフリースクールではそれが日常の中にあたり前にとけこんでいる。オフロを毎日薪でわかしたり、この日のように外で調理をしたりしているせいもあるだろうが、子供たちはそもそも焚き火が大好きなのだ。(大人も!)だから一年をとおして煙のたちのぼらない日は稀だ。

火をつかいこなすことによりヒトは人間へと進化していったと言われるが、そういった「道具としての火」以外の面でも、火には心をなごませたり、癒したりする不思議な力がある。

小さな火があるだけで身体はもちろん、心まで温かくなる。親も子も小さな焚き火を囲むとなぜかひとつになれるのだ。